私の富士山

画像  朗読のボランティアで、月に1度は武蔵野線を使う。ある朝、法典駅から西船へ向かう車窓から富士山が見えていた。
 高校1年のとき、放課後中山駅を通り越して英文タイプを習いに、新小岩に半年ばかり通ったことがある。タイプの学校から戻る総武線の中から夕焼けの空を背にして薄ら赤い富士山のシルエットが見えていた。半年の間にタイプは4級になったけれど、学校の成績がガタガタに下がり、嫌いな物理など赤点に追いかけられるようになって、タイプ学校通いは諦めた。
 『晴れ女』の威力は、富士山を見ることにも力を発揮してくれるらしい。ポルトガルのマルゲリーダが2度目に来日した時、前回来日した折に、新幹線の中から見た富士山に感動したので、もう少し近くでゆっくり富士山を観たいと言って来た。調べるとバス会社の日帰りツァーが面白そうだった。
 河口湖近くの高級旅館で、お懐石のお昼を食べて、富士山の見える露天風呂を楽しみ2000坪の日本庭園を散策、お抹茶のセレモニーが体験できる。マルゲリータの要望以上のプログラムだった。
 新宿でバスに乗り込み、山梨に向けて高速道路を走り始めると直ぐに、前方にくっきりと富士山が見えはじめた。ガイド嬢が「毎日のようにこのルートを走っていますが、今日のようにキレイな富士山は、滅多にみられません。一年に一度とか二度ですねぇ」と言った。マルゲリータのフィアンセ、ステュアートは、大喜びで車窓から少しずつ近づいてくる、雲ひとつない青空を背景にした富士山の写真を撮り続けた。結局彼は、帰路の夕焼けの富士も撮り続け、800枚も撮ったと言うからビックリ。
 ローマからマウロが来た時も、富士山を見ながら露天風呂に入れるという情報を得て居てぜひ、と。彼の弟や友人、4人の大きなイタリア男たちを案内して、又も鐘山苑へ。正月だったので、ツァーバスは運行していず、高速バスで富士吉田へ行き、そこで鐘山苑の送迎バスに迎えてもらった。この時も高速バスが走りだすと直ぐに、快晴の空の下に、真っ白に雪を被った美しい富士山が、くっきりと見え続け彼らを大いに喜ばせた。
 
 昔ニットのデザインの仕事をしていた会社は、大阪と福岡、札幌に支社があった。デザイン会議と、展示会の度にデザイナーとして、それぞれの営業の方々に説明するため、頻繁に行き来した。そのころは、飛行機を使うことも多く、大阪や福岡へ向かう便だと、富士山が機内から見えることも多かった。今は気流の関係で、富士山の真上を通るルートはなくなったらしいが、あの頃は飛行機の真下に、大きな裾の野輪と、頂上の小さな輪と2つの輪が重なって平面的に見える、不思議な富士山を見たこともある。その頃は、1週間に3日の日帰り出張で、飛行機を使ったので、計6回の飛行となり「日本航空のパイロットより、私の飛行時間のほうが多かったりして」と冗談を言って笑ったこともあった。どうやら、よほどよく動き回る星の下に生まれたらしい。『転石苔を生ぜず』英語だと“A rolling stone gathers no moss”職業や住居を変えてばかりいる人は、地位も財産もできない、とイギリスの諺。転じて、活発な活動をしている人は、時代に取り残されることがない、の意で使われるのだとか。
 確かに私は出世もしなかったし、財産もできなかったなぁ。でも、今を生きているという実感だけはあるので、まっ、いいか。画像
 横浜で富士の見えるところに住んでいる友人は、思い出したように、「今、こんな富士山を見ています」と送信してくれる。富士山の存在は私たちにとって、大きなものだとよく思う。

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