介護

 19年前に、ローマの夏の暑さとおぼろにしか理解できない、イタリア語圏での暮らしに疲れて、逃げ出た英語圏ダブリンの英語学校で、24歳だったK子ちゃんと出会った。彼女が筆まめで連絡をくれていたお陰で、音信が続いた。幾度も互に「会いたい」と言い続けていた。「東京に転居しました」のメールが入って、先日やっと彼女が我が家へ来てくれて、19年ぶりの再会。ダブリンでのK子ちゃんは、母上が数年前に亡くなり、父親と二人で成人前の妹弟を、養育しているような印象があった。
 その父上が、脳梗塞で体が不自由になった。ひとりで支えるのは大変だから「東京で一緒に暮そう」と弟たちが声を掛けてくれて、移転を決意したのだそう。 
 結婚せずに42~3になった今、父親を自分一人で看なくても済むようになって、結婚を考えるようになったようす。
 心優しいK子ちゃんに、良いご縁を結ぶお手伝いがしたくて、50歳くらいで独身の息子を持つ友人たちに、それとなく意見や意向を聞いた。それは、5人だけれど全員ほぼ同じ答えだったことに驚いた。「ダメダメ、息子は結婚する気なんかまったくない」「今はそうでも、先々親としては心配じゃないの?」「良いのよ、今時お金さえあればヘルパーさんを雇えば、必要なことは全部やって貰えるし、結婚したからって必ずしも幸せになるとも限らないし」と。そう答えた友人たちはほぼ、連れ合いがあってもなくても息子と同居、あるいは週末には帰って来るということで、かなり密に関わっている。
 少なくとも現在は、静かで楽しい日々の中にあるとお見受けする。
 私は結婚生活16年にして、夫と死別。以来23年ひとりで心細く、けれどもそれは心の奥に閉じ込めて明るく生きようとして来た。そして週に数日一緒に居られる存在を得た今、しみじみ安らぎを覚える。私にとっては、ひとりで生きることは厳しく寂しいことだった。誰かが少しヘルプしてくれたら、自立できる。けれどもヘルパーさんに、自立して暮らすための細々したことを、依頼するのは難しい。両親と暮らし、やがてひとりになったとき、残された側が楽しく、そこそこ満足な生活を続けることは難しくはないだろうか。私の姉は、二人の娘を嫁がせ、残った甥は独身で姉が90歳に、なるまでひとりで介護し看取った。
 時折電話をする私にも、その大変さは思いやられたけれど、栃木と市川では何かお手伝いを申し出るには遠すぎた。
 姉が没してからの甥は60も過ぎてしまってい、姉亡きあと急激に私と距離を置き始めた。なまじ大きな田地田畑屋敷持ちの甥には、妙な男女の影も感じたりし、彼の身の上が不安になったりもする。
 
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 小見川からの帰路、窓外に流れる、黄色味がかった田園風景をぼんやり眺めつつ、ここのところ頻繁に見聞きする、「老いた母を同居の息子が殺害」というニュースの幾つかが浮かんできた。
 私は、母の介護を2年半しかしなかった。それも優しい夫が支えてくれたけれど、介護する側もされる側も、地獄に等しい瞬間が幾度かあったし、夫に隠れてトイレで忍び泣きしたこともある。

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