沈む心を持ちあげる

 画像画像 このごろ『ストレス食い』をしていると思う。チョコレート、おせんべい、お饅頭、バリバリパクパク。それなのに、昨日など、ブログやメール、電話三昧で座り続け。消費カロリー1135kcalで259歩しか歩いていない。私の明日は、出荷待ちの養豚場の群れの中かも。
 近頃不愉快なニュースが多すぎる。韓国の慰安婦問題で、韓国政府が新たに設立する財団に、日本から10億円も拠出。それでも、世論の反発は、治まるどころか高まっているとか。トランプ大統領の威圧的な言動。日本国内は、寒波でのドカ雪。良くないニュースばかりを、見聞きすることで、引き摺られるように、年末に我が身の上に起きた哀しいこと、大切な友人の死、船橋の朗読会の終了、FM局の倒産で、放送が無くなった、などが浮かんでしまう。勿論楽しい話題や、明るい話題に眼を転じようとするも、切り替えが遅い。これも心の柔軟性に難あり、らしいと気分低下。しかし、このように、自己分析をすることは、窮地を脱する上で大切なことと、幾度か経験してきた。
 20年ほど前に、1年半ほどの間に不幸が次々起こり、耐えきれなくなり、心療内科の医師に相談。しばらく日本を離れて、ローマに移住することに。これは、自分を見つめる上で大きな力になった。
 そしてポルトガルに出掛けてタイル画に出会い、ローマで修業。立ち直る方向へ進路を切り替える気になれて、日本へ戻ることに。それまで4年が必要だった。
 今の低迷気分など、あの時とは次元が違う。つまり暇人ということかも。「小人閑居して不善を為す」かァ、と考えているところへ、ケァハウスに居る92歳の友人、ヒサコさんから「ちょっと来て欲しいんだ」と電話が入った。「今日は予定があって行けないけど、明日なら昼ごろに、お弁当買って持って行くから、一緒にご飯食べようね」「うん、11時半に来てよね」と嬉しそうな声。施設のお仲間が皆さん亡くなり「何時もひとりだ。生きてても面白いことは何もない」と。そうかも知れない、ちょっと分かる気がする。彼女の愚痴やぼやきを聞くのが、せめてもの友達甲斐かと。それが昨日のことだった。
 そして、今日のランチはヒサコさんの部屋へ、ファミマで買ったお弁当やおでん、カラ揚げ、どら焼き、最中を持ち込み、お喋りしながら昼食。彼女が「あーあ、今日は嬉しい日だった」の言葉を背で聞きながら、柏井のケァハウスを急ぎ辞去。1時25分だった。
 八幡の歯科に、2時の予約が入れてある。歯だけは良いのが自慢だったけれど、このごろそれも過去のこと。レントゲンで右下の奥から2番目の、歯根が割れていると判明。抜歯してインプラントに、というのが最善策と診断された。気休め程度にしても、抗生物質で化膿が止まるか、試みたいと希望し、お薬3日分を戴いて帰宅。
 昨年の春にヴィエトリスルマーレで買って、持ち帰れなかった器を、年末年始に来日したルチャーノ夫妻が、持って来てくれた。アマルフィで求めた器を集合させてみた。いかにもイタリアっぽい明るさに、心も明るくなるようだ。
 こんな小さなことでも、ちょっぴり気分はアップする。  

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